平成27年4月28日に、前社長 村松幸雄から新社長として村松守が就任しました。

この対談では、これまでの歩みを振り返りつつ、次世代の社員に望む事、これからも引き継いで守っていきたい事など、率直に互いの会社に対する熱い思いを語り合いました。

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稼ぐための会社から、社会に役立ち、社員が豊かで幸せな人生を送れる会社へ

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稼ぐための会社から、社会に役立ち、社員が豊かで幸せな人生を送れる会社へ
今野(インタビュアー)

信幸プロテックの始まりを教えて下さい。

村松幸雄

工業高校を卒業後、転勤の無い職場だと信じて某家電メーカーサービス会社に就職しました。ところが転勤があったんです。農業を営む両親を支えるために転勤を断って来ましたが、入社から6年、皆に申し訳が立たず、居場所がなくなり、退職を決意したのが昭和49年の3月でした。わずかの資金でネジ切り機を買い、妻の信子(現相談役)と共に設備の保全・修繕をする「岩手冷凍空調設備サービス」を始めました。次々に依頼があり、トラックに看板をつけたのが同じ年の10月。結果的に創業した形となったんです。

今野
社員を大切にする社風はいつ生まれたのでしょう?
村松幸雄

当時はとにかく毎日、食べる事に必死ですから、稼ぐための会社でした。24時間仕事して、1年が369日位あったような気がします。この頃は、社員に給料を支払えば働くのは当たり前と思っていたんですね。ところが会社を始めて12年経った頃、私が病気で入院しました。その時、2人居た社員が辞めてしまった。もう、廃業しようかと考えました。

今野
それでも思いとどまったのは?
村松幸雄

入院中にお見舞いに来てくれた人が居ました。親しくさせて頂いていた取引先の方で、「会社を続けろ」と、応援されました。辞めた社員が不満に思っていた事も教えてくれ、これではいけないと実感したんです。

幸い、ベッドの上に居て時間もたっぷりある。これからの事をゆっくり考えるキッカケになったんですね。そこで、今までは自分が食べるための会社だったけれど、社員も社会も幸せである会社を目指そうと決めたんです。それから、約10年かけて社員教育をして来ました。でも実は、社員を教育しながら、自分も育てられて来たんです。

今野
その時に経営理念も生まれたんですよね。
村松幸雄
この頃、尊敬する経営者の紹介で、中小企業家同友会に出会いました。職人としての社長ではなく、経営者として経営学を身につけました。中小企業家同友会をはじめ、多くの団体や諸先輩方に、社長と経営者の違いを教えていただいたのです。また、経営理念を定めて社員と共有することで、社員が徐々に定着してくれるようになりました。
今野
社員が夢を実現し、豊かで幸せな人生を送る事が記された経営理念。この社風が社員を惹きつけるんですね。

いつでも現場でお客様の役に立てるように、実は車にこっそり工具を忍ばせていた

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いつでも現場でお客様の役に立てるように、実は車にこっそり工具を忍ばせていた
今野

新社長がはじめて入社した時の印象は?

村松幸雄

守君が入社したのは平成15年。商社の営業マンだったというから、モノになるのか分かりませんでしたよ。

村松守

東京出身の私は、方言もわからないし、工具の名前も壊れた部品の名前も分からない。でも、分からなかったからこそ、現場ではお客様目線で丁寧に説明することが大切だと気がつきました。

村松幸雄

今から10年ほど前、営業力のある同業者がグングン業績を伸ばしており、営業力の大切さを実感しました。 そこで、守君には営業マンになってもらいました。元々数字に強い彼は本領を発揮し、業績を伸ばしてくれたのです。

村松守

営業マンになったのですが、いつでも現場でお客様のお役に立てるように、実は車にこっそり工具も忍ばせていました(笑)。

村松幸雄

そういうところがあるから、お客様からの信頼が厚いんだよね。

今野
前社長から見て、新社長はどんな人柄ですか?
村松幸雄
守君は冷静に数値を見ることができるし、予測した事への行動も早い。アバウト設計、だいたい建設の現場主義の私とは違うなあ、と感じています。現場での技術だけでなく、営業力もこれからは必要ですからね。
村松守

私も現場主義なんですが、営業マン時代の知識を生かして、計数管理などもしっかりとして行きます。

次世代の信幸プロテックを率いてゆく、新社長に手渡す、言葉のバトン

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次世代の信幸プロテックを率いてゆく、新社長に手渡す、言葉のバトン
今野

発明が得意な前社長。新社長に望むこととは?

村松幸雄

私は休みの日に、購入すれば何百万円もするような工作機械を自作するんです。そうすると古材料等、20万円くらいで出来るんです。そういった工夫が、社会のためになります。ですから、お客様への気持ちを大切にしながら、新しいことにもどん欲に挑戦していって欲しいですね。

今野

今後、新社長に守って行ってほしいものとは?

村松幸雄

会社は「人」。人の「心」を大切にして行って欲しいですね。社員1人1人にも、色々な日があり、気持ちがあります。それから、社員教育を充実させ続けていくこと。経営を維持し発展させられるのは、社員の人間的・科学的・社会的魅力です。社員はもちろん、自分自身も育てながら、未来作りに挑戦して欲しいです。

地域に貢献できる会社のあり方と新社屋建設の計画について

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地域に貢献できる会社のあり方と新社屋建設の計画について
今野

岩手に来てから印象深い出来事は?

村松守

やはり東日本大震災です。岩手に来て、8年目のことでした。被災地が本当に大変な中、内陸でこのまま仕事を続けていいのか毎日悩み、被災地で復興ボランティアに参加すべきか、とも考えました。しかし内陸もかなりの規模で停電し、沢山の給湯器が壊れてしまったんです。迷いの中、震災のあった3月から5月までの間は、凄まじい数の給湯器の修理をしました。修理が終わると、お湯が使えるありがたさに、「助かるわ、ありがとう」と言って頂きました。この場所で自分のすべきことが明確になりました。お客様の感謝の言葉が、これほど身にしみた時はありませんでした。


今野

前社長から引き継ぎたい・大切にしたいものは?

村松守

社長が代わっても、会社としては変らないスタンスです。前社長が築いて下さった「経営指針」は、私はもちろん、全社員の礎となるものです。三方良しのビジネスで、会社も社員も社会も、全てが「良し」となる仕事を、これからも続けて行きたいと思います。

村松幸雄

社内の「教育・環境・安全」3つの委員会も続けて行って欲しい。環境委員は散らかった社長の机に、イエローカードを置いてくれるからね(笑)。

今野

どんなことで地域に貢献して行きたいですか?

村松守

新卒の採用を続けて行きたい。地域の人材を雇用をすることで、地域に貢献して行きたいです。

今野

新社屋の計画をお聞かせ下さい。

村松守

数年前から計画していますが、まだじっくり検討中です。社員が働くための大空間建築ではなく、地域の見本となれるような、ミニマムエネルギー建築にこだわって行きたいんですよ。

空気や水など流れるものをハンドリングできるエンジニア集団を目指す

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今野

これからどんな会社を目指して行きますか?

村松守

「空気」や「水」など、流れていくものを自在にハンドリングできるエンジニア集団を作り上げること。ミニマムなエネルギーで、会社も社員も社会にも貢献できる会社に成長して行きたいです。

村松幸雄

社名のプロテックは「プロテクト」=「守る」。プロの技術(テクニック)でお客様の生活を守る意味もあり、同時に守君が守って行くという意味もあるんですよ。

今野

これからの時代にフィットした経営・技術・人。信幸プロテックの未来に、ますます期待が高まります。

村松 幸雄社長、ときどき漁師な65歳

村松幸雄

昭和24年 紫波郡矢巾町生まれの65歳。孫が1人。

趣味
海釣り(沖釣り)
休日の過ごし方
道具や機械の開発
今年の目標
やりたいことがありすぎて夜も寝られない!睡眠以外の時間をフル活用できる体力気力をつけることですね。

村松 守休日は子どもの心で遊ぶ42歳

村松守

昭和47年 東京都新宿区生まれの42歳。息子が1人。

趣味
子育て
休日の過ごし方
夏は公園やプール、冬はソリ遊びなど、子どもと一緒にできるだけ外で遊ぶこと。
今年の目標
お客様をはじめメーカー様や取引先など、自社を取り巻く全ての関係先に感謝とお役立ちの関係を築いて行く事です。

今野和美
〔ロケーション〕
紫波情報交流館 オガール
〔インタビュアー〕
株式会社ドリームスケッチ 今野 和美